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    佐々木酒造は地球規模の環境破壊防止を呼びかける団体「DoYouKyoto?ネットワーク」に参加しています。

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新着情報

会社概要

社名 佐々木酒造株式会社
代表取締役 佐々木 晃
創立 1893年(明治26年)
所在地

京都市上京区日暮通椹木町下ル北伊勢屋町727

電話番号 TEL:075-841-8106㈹/FAX:075-801-2582
従業員数 29名(ネコ含む)
事業内容 清酒の製造、販売

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ごあいさつ

ごあいさつ

私は男3人兄弟の末っ子で、まさか酒屋を継ぐことになるとは思っておりませんでした。
上の兄は「飲んで無くなってしまうものを造るのはいやだ」と言って建築の道に進んでしまい、二番目の兄が跡を継ぐべくして、神戸大学の農学部に行ってバイオテクノロジーの研究や酒米の研究っていうテーマで卒論書いたりして、着々と酒造家の道を歩んでいたのですが、突然「俳優になる」と言って出ていってしまいました。

 

いつも自己紹介のところで佐々木酒造です、と言ってもあまり皆さんご存じない感じなのですが、最近は俳優の佐々木蔵之介の弟です、というと結構知ってくださる方があって、うれしいような複雑な気分です。
まあ、そんなことで、大学では中国文学科だった私が嫌々酒屋を継ぐことになったわけです。

 

たまたまうちの蔵は、むかし豊臣秀吉が自分の家として建てた聚楽第のあった南端にあるのですが、秀吉がこの場所に聚楽第を建てた理由の一つとして「水の良さ」があったそうです。秀吉は茶道が趣味で、各地で茶会を開いていますし、聚楽第の敷地の中に千利休の茶室付きの家を建ててやって、そこで一緒にお茶を楽しんだという話も残っていますので大昔から水のよい地域であったことは確かです。

 

関西大学の楠見教授の調べでは、京都の街の下にはラグビーボールを横向けで水平に切ったような形で、縦が33キロ、横が12キロ、一番深いところで水深800メートルの岩盤で出来た水瓶があるそうです。

 

京都は三方を山に囲まれた盆地になっていまして、それぞれの山の岩盤を伝って地中に潜り込んだ水がその水瓶に溜まっていく形状になっているんです。また、普通ならそのまま海へ流れてしまうところなのですが、この京都の水瓶には出口が南西の天王山と男山の間の辺りに一本あるだけなので、少しずつしか流れていかない、という水の溜まる条件が揃っているんです。この水瓶には琵琶湖の水量の約8割の水が蓄えてられると楠見教授が発表されています。世界的に見てもこんな地形はめずらしくて、1000年もの間、都が京都に置かれたのはこの類い希なる地形、そしてこの豊富な水があったのが大きな理由だといわれています。現在でも良質で豊富な地下水は変わりなく、小川通りに並んでいるお茶の家元などはもちろんのこと、豆腐や湯葉、生麩など、水が命の産業はいまも洛中には多く残っています。

 

うちの蔵は二条城の北側あたりにあるのですが、皆さん、京都の造り酒屋というと真っ先に京都の南の伏見を連想されることと思います。もちろんそれはその通りで、現在の伏見区ではあの狭い範囲に20軒ほどの蔵元が密集していまして、全国的に見ても灘に次ぐ全国第二位の生産量を誇る酒処として全国に知られています。
ところが、京都の造り酒屋の起源は洛中、旧京都市内なんです。昔の資料などを見ていると、私どもの蔵の創業が明治26年で、その時点で131軒の蔵元がありました。この頃は伏見よりも洛中の方が蔵元の数も生産量も多かったんです。

 

もっとさかのぼれば、室町中期には300軒あまりと、もちろん日本最大の酒処だったわけです。伏見の酒蔵さんは大手が多いですが、それに対して洛中の蔵元では、家内制工業的な小さな蔵元が多くて、都での小さな市場でのシェアの食い合いをしていたわけですから、自然と淘汰されていって減っていき、いまはうちだけになってしまいました。

 

まあ、洛中のように、ここまで強烈に減った地域も珍しいのですが、全国的に見ても昭和48年をピークに毎年少しずつ清酒の生産量は減ってきて、現在は蔵元の数も生産量も半減してしまっています。今、全国では1500蔵ほどの蔵元がありますが、今後増える、ということは考えられない厳しい業種であることは確かです。

「京都の商売は儲けることよりも続けることを考えろ」とか、「京都の老舗は100年150年は鼻たれ小僧、300年続いてやっと一人前」なんて言われます。うちの蔵は創業120年程度ではありますが、せっかく代々続いてきた商売ですし、酒蔵というのはまず新しく始められる商売ではありませんので、なんとか残していきたい、せめて次の代までは残していきたいと思っています。それに、こんなに水のいい場所でお酒造りができるということは本当に有難く、自然の恵みに感謝しておりまして、初めは嫌々ながらのスタートでしたが今では応援してくださる方々のおかげもあり、楽しくやらせていただいております。

 

みなさまのご期待に添えるよう、規模は小さいながらもこだわりをもった良質の製品づくりをこころがけて、細々とでも事業継続できたらいいな、という気持ちで今後とも頑張ってまいります。

佐々木 晃

1970年4月1日生まれ。産業機械販売会社の営業を経て、25歳で蔵に入る。現在、日本酒講座やイベントを通じて新たな日本酒ファンを増やすことに務めている。趣味は格闘技などのスポーツ観戦。

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洛中伝承

洛中伝承

天正19年(1591)、関白秀吉は荒廃後の京の新しい町づくりに着手し、京の町全体を囲むように、御土居といわれる土塁の壁を作った。

御土居の内側が洛中、外側は洛外と区分けし、数カ所の関所を設けて洛外から入ってくる者を検分した。京都の町中で「荒神口」「粟田口」「丹波口」など、「口」のつく地名は関所のあった名残で、それらを繋ぎあわせた円でかつての洛中の規模を確認することができる。

その洛中の中でも上京は地下水の良さから、水が命である茶室や酒蔵が密集していたが、生産高が増え、東への運搬上の利便さで洛外の伏見に移り次第に企業化していった。

 「洛中伝承」とは、洛中における酒造りの伝統を守り続ける当蔵の、創業以来の精神を凝縮したものであります。当蔵では、この洛中での酒造りの伝統を、今後ともひたむきに継承してまいりたく考えております。

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